津田塾大学 学外学修・キャリアセンター

4年生インタビュー 国際関係学科 倉持百花さん

卒業する4年生に、大学時代の学外学修の経験について伺いました!

-5年間を振り返って津田塾大学での生活はいかがでしたか?

一言で言うと、いろいろなことを勉強し、学んだ5年間でした。大学の勉強だけではなく、部活動や学外の活動で学んだこともあり、多方面で頑張った5年間でした。津田塾大学に入ったからこそできたこと、津田塾大学じゃなかったらできなかったことも結構あったと思います。とても楽しかったです。

-参考までに、津田塾大学は第一志望でしたか?

いえ、違います。卒業式前日の津田塾大学入試B日程を受験し、合格して入学しました。

-そうなのですね。入学して、どんな学生生活だったと言えますか?

地元の国立大学に行きたかったのですが届かず、悩んでいた時に津田塾大学を受けてみたら、と勧められ受験しました。正直、とても前向きな気持ちというわけではありませんでしたがご縁があって入学しました。結果的に、とても満足いく学生生活でした。全く後悔していません。

-大学では主にどのような勉強をしてきましたか?

開発経済学です。3.4年のゼミで2年間経済学や開発について学びました。

-大学に入る前から、その分野に関心があった?

いえ、どちらかというと経済は敬遠していました。最初は戦争や紛争など国際政治を勉強したくて、2年ゼミはヨーロッパの近代政治に関するゼミでした。3年ゼミでは、貧困などを勉強したいと思い開発経済学を選びました。

-留学は行きましたか?

留学は、学生生活の中で部活に力を入れていたので、行きたいと思いつつ行けませんでした。

-部活は何を?

ラフティングです。実は2年生の時に、世界大会に出るという機会を頂きました。大会がアルゼンチンで行われたのですが、クラウドファンディングで資金を募り、参加しました。アルゼンチンに行ったことによって、部活として一旦区切りがついたと感じて、やはり留学したいという思いが強くなり、2年生の冬から勉強し始めました。でも3年生の前期にある留学の申し込みまでにスコアがどうしても用意ができず留学は諦めました。

ラフティングの世界大会にて スプリント種目の様子

-なぜラフティングをやろうと?

よく聞かれます(笑)。ラフティングは中学生の時に校外学習でやったことがあって、楽しいことは知っていました。大学に入ってからラフティング部の存在を知り、大学生の時しかできないし、部活でやるということに魅力を感じたので入りました。

-世界大会での最終的な結果は?

まず日本国内での選考会では2チームだけでしたので、どちらかが選ばれるということで勝って、世界大会に行くことができました。世界大会には各国代表が来るのですが、そもそも女子の選手は少ないし、ラフティングができる国も多くないので、毎回出場する国やチーム数が変わります。たまたまその年は女子23歳以下のカテゴリーで6チーム出ていました。結果は6チーム中5位でした。ラフティング部に入ってくる人は大方、私のように部の活動を頑張ってやろう!というよりは楽しんでやろうとする人と、毎年男子も世界大会に出場しているので、そういうチャンスを掴みたい人の2種類に分かれますね。

-大学時代を満喫できる可能性を自分が知らないスポーツで開花させるのはおもしろいですね

はい。ただラフティングは危険な面もあって、実際過去に日本国内で死亡事故も起きているのでやみくもにはお勧めできませんが、何か新しいことに挑戦したい人やチャレンジャーな人には向いている部活だと思います。

- タイにある国際機関SEAFDECでのインターンシップについて教えてください。3年生になってモードを切り替え、留学ではなく他のことに挑戦してみようと思った?SEAFDECの情報を見たのはいつ頃ですか?

3年生の7月くらいでした。募集を見たときに、海外の国際機関で1年間働けて、お給料も出るので、とても恵まれた条件だと思いました。また親が、タイにはとても良い印象を持っていて「タイなら安心して行かせられるからいいよ」ということで、私の中で全ての条件が揃い、落ちても受かってもいいから、まずは応募しよう、と思ったことを覚えています。2019年11月に行くことが決まりました。

-その後、学外学修センターに履修申請をして事前学習も受講し送るタイミングでコロナが出始めてどうするかという話になりましたね。倉持さんは「とりあえず行きます」ということで送り出したのが2020年3月でした。その後はどうしていましたか?

タイにいたのは1か月半くらいで、その後一旦帰国し、4か月くらい日本からリモートで仕事をしていました。タイでは一週間くらいはオフィスに出て仕事をしていましたが、その後自宅勤務になってしまい、全然仕事が進まないし、よくわからないまま、今度は日本へ帰るように言われ、荷物をまとめて帰国し、2週間東京のホテル暮らしが始まりました。「短期間の間に世界が変わってしまった」と強く感じました。タイでの生活に慣れるまで時間がかかったので、あの時期はとても精神が不安定でした。学外学修センターの先生方とのSkype面談で泣いてしまった時があったかと思います。自分の心の整理もつかないまま、体だけは動かすしかない状況が大変だった時期でした。

-コロナで世界中が翻弄される中で、海外に行くという選択をし、海外で言葉もわからない状況で判断したり、帰国するという経験、その経験を当時できた人は、実はあまりいなかった。当然精神的にもきつかったと思いますが、今振り返ってご自身の中で学びや気づきなどありましたか?

タイでお世話になった上司の方から言われたことも影響していますが、「プランB」という、自分の考えていたことができなくなった時のことも考えておく必要性を学ばされました。私は「無事に一年間タイでインターンをやる」という一つの案しか考えておらず、それが絶対だと思っていました。うまくいかなくなった時のために、あらかじめ「プランB」や「プランC」など、考えられることを考えておくこと、はこれから先、コロナ禍に関わらず必要だなと良い学びになりました。

タイ滞在中の休日 泊まりがけでMeet upイベントに参加した際の写真 友人たちとランチ

-当時タイはまだそんなに感染者が多くなかった?現地の様子はどうでしたか?

日本と同程度の感染者数でしたが、対策の動きが早く、私が着いた翌日には水際対策で国境が閉鎖され、フライトも全て止ったので、ギリギリ入国できました。4月になりだんだん感染者が増えてくるとお店なども閉まってしまい、とにかく政府の対応スピードが早かったです。インフルエンザも流行らない国なので、感染症というものに対してすごい恐怖心を持っていました。罹ったら死ぬ、みたいな感じだったので、すごくみんな気を付けていましたね。日本以外の国の政府や国民の対応を実際に見ることができたのは、すごく貴重な経験だったと思います。

-日本に帰国してからの4か月間のリモートワークはどうでしたか?

実家でリモートワークをしていました。ただ、コロナでプロジェクトも止っていたので正直そんなに仕事は多くなく、ペーパーワークがほぼ無かったので、上司の方がレポート課題を出してくださり、2回くらい英語でレポートを書きました。勤務時間は日本時間だと10時から18時までと決まっていたので、パソコンの前に座って、メールや電話もラインで来るのでスタンバイしていました。時間がある時は、大学での企業説明会や学外学修センターのOG/社会人トークセッションを視聴したりしていました。 

その後再渡航できることになり、2021年2月末まで、半年間タイに滞在しました。再渡航した時は、コロナも感染者ゼロの状態が続いていたので、年末まで普通に暮らしていました。一度だけタイ国内の出張に同行させていただきました。

-タイでの通勤や生活はいかがでしかか?

オフィスはバンコクのカセサ-ト大学の水産農学部の一角にあり、大学の隣のエリア、電車で一駅のところに住んでいましたが、近いので徒歩で通勤していました。雨季には膝下が水に浸かるくらいの水害もたまにありましたが、乾季は暑すぎずとても過ごしやすかったです。いろいろな場所を訪れることができ、タイでの生活も楽しむこともできました。

-インターンとしての業務はいかがでしたか?大学の学びとは違う、学びや気づきは得られましたか?

組織のトップの方が入れ替わっていく中で、周りの人たちに自分がどう働きかけたら仕事がスムーズに進むのかを考えさせられる機会が多かったので、学びが多かったです。特に、タイ人スタッフと日本人幹部スタッフ間のコミュニケーションがうまくいかなくなった時に、自分が間に入ったときなどは難しかったです。意図していることがダイレクトに伝わらず違う方向に伝わってしまったり、雰囲気が悪くなってしまったりしたことがありました。あとは日本人が伝えている英語の意味でそのまま捉えてもらえなかったり、逆にタイ人の英語の意味で日本人が捉えられなかったりして、ノンネイティブ同志の英語でのコミュニケーションも苦労しました。他には、インターンを通じて周りの大人の方々の仕事の仕方や人生経験を見聞きすることができましたし、理論や計画を実際にプロジェクトとして実行することの難しさなども知ることができたと思います。

インターンの職員の方々と食べに行ったタイ式焼肉(ム—ガタ)

-5年生をやると決めていたそうですが、就職先について、いつぐらいからどこに行きたいという思いを抱き始めましたか?

SEAFDECのインターンが決まった3年生の秋くらいから実質就活は始めていました。政府系機関、海運など海外とのつながりがある業種が志望でした。SEAFDECのインターンがあり、来年は就活イベントに行けないとわかっていたのでエントリーはせず、21卒向けの冬に行われるインターンなどには行っていました。

-タイにいるころから就活は始めていたのですか?

少しだけ、タイの祝日や休日に受けられそうなインターンシップをいくつか受けた程度です。WEBテストの勉強もしませんでしたし、エントリーシートもほぼ書いていません。日本に帰ったらやるしかないし、タイでの時間は貴重なので今は違うことをしようと思いました。2月に帰国して、3月から本腰入れて始めました。

-JICAに内定されたそうですね。どのような流れで決まりましたか?民間企業は受けましたか?

政府系の国際機関は全て見て、最終的にJICAを含めて4つの機関にエントリーしました。民間は建設コンサルタント会社、開発コンサルタント会社や、メーカー(日用品・医療機器など)、商社もいくつか受けていました。全部でエントリーできたのは27社くらいでした。

-その中で「ここ」という、自分なりの軸や方向性は持っていましたか?

はい、三つありました。まず一つ目は海外で働けるチャンスがあるところ・サービスや事業が海外に広まっているかというところ。二つ目が人の命や生活に直結しているか、必要度が高いかというところ。最後に公共性、パブリックのところを軸にして受けていました。

-選考が進む中で絞り込み、最終的に内定をもらったのはどんな会社ですか?

開発コンサルタント会社、メーカー、そしてJICAの三つから内定をいただきました。正直、すごく迷いました。色々考えて、やはり自分がやりたいことはビジネスより支援や援助だったことと、国際協力の世界の中心にいるのがJICAなので、そこでプロジェクトの流れなどを見たいと思いました。

-JICAや他の企業の選考で、この経験の話がうまく話せた、選考に通ったと思った経験はありましたか?

「ガクチカ」で一番話していたのは、タイでのインターンシップではなく、アルゼンチンでの世界大会の話が多かったですね。インターンやアルバイトの話だと差別化が難しいと感じたのもあります。世界大会直前の練習で一度船が転覆して全員が流され、危なかったことがありました。そのハプニングで出場をめぐりチーム内で意見が割れたことがありましたが、他国の選手から練習のサポートを得たり、動画研究とミーティングを繰り返し行ったりしたことで自信をつけ、最後は4人で出場できたというエピソードを話すことで、土壇場での対応力やチャレンジ精神、チームワーク力などをアピールできました。

-3社内定をいただけましたが、自分はどういうところを評価してもらえたと思いますか?

自分はキャプテンのように引っ張っていくタイプではないけれど、チームを繋ぐまとめ役だったと思っています。JICAも人と人を繋ぐマネジメントのような仕事なので、そこは自分に向いているという点をアピールしました。

-オンラインでの面接で意識したことはありますか?

大きく分けて二つあります。一つは映りです。明るさ、背景は白にする、同じ目線で話しているように感じられるかを意識しました。二つ目は話し方です。話したいことが複数あるなら、先に「3つあります。」と言うことや、長い文章ならどうすれば相手にわかりやすく伝わるかなど、端的にかつ論理的に伝えられるよう面接前に練習をしていました。

-面接の練習は自分で?キャリアセンターなど利用しましたか?

たくさん利用しました。ESの点では、キャリアセンターとライティングセンターに毎週予約を入れてフル活用しました。予約がすぐにいっぱいになるので、今日の予約が終わったらすぐに次の回の予約をしていました。早めの予約、1.2月から動いた方がいいと思います。
外部だと、就労支援をしている、国分寺市の東京しごとセンター多摩にお世話になりました。ESを見てもらったり、面接の受け答えを見てもらいました。面接は自分でどんなことを聞かれるか洗い出して準備をして、実際に面接が終わったら、聞かれたことと答えたことをエクセルにまとめて次に備えていました。

-うまくいかなかったところもありましたか?

大手のメーカーとかは、WEB面接の前に動画を送ることがあるのですが、動画面接で落とされることもありました。動画面接で何を見ているのかわからないのですが、1回しかチャンスがない、一発撮りのところがあって混乱しました。企業によって、3回までチャンスがあったり、いきなり画面上に質問が出てきたり、いろいろなパターンがありました。あらかじめ1分とか制限時間内でまとめられるように練習はするのですが、チャンスが1回だとなかなかうまくいいきませんでした。私は相手の表情を見ながら対面で話す方が得意だったので、動画面接は難しく、私には攻略できませんでした。

-うまくいかないとき、落ち込むこともありましたか?

志望度が高かった企業が書類選考で落ちてしまい、その日は結構落ち込みました。説明会、インターンすべて出て準備をしていたのに、それでも書類選考で落ちることがあるのだなと思いました。

-その時どのようにリカバリーしましたか?

元気になる記事や本を読む、歌ってストレス発散する、1回泣いて寝て切り替えました(笑)

-就活の時に親に相談しましたか?

内定先が3つ決まった時に悩んでいると相談しました。それまでの経過はまったく話していないです。JICAに内定を頂いたことに驚いていました。基本的に自分で何でもやりたいタイプなので、相談を求めることも特にありませんでした。でも、第三者の意見が欲しくて、1回だけ母にエントリーシートを見てもらいました。

-自立していて、逆境に強そうですね。

そこを見抜いてくださったところから内定をいただいたと思います。「見かけによらずすごいね!」とよく言われます(笑)

-これから社会人になって、どのような目標がありますか?

私がこれから先も大事にしていきたいのは、生まれ育った地や国籍・宗教など関係なく、多くの人たちがより多くの選択肢や可能性のある環境で自己実現できるような世界を作っていくことです。どのような形であれ、今そういう環境にない人たちに機会を作ることはやっていけたらいいなと思っています。

-新入生やこれから就活を始める後輩にひとことお願いします。

一言でいうと「行動力に尽きる」。今の時代、思い描いていたような実現が難しい時代ではあると思いますが、その条件はみんな一緒です。それでも「やる人はやる」と思う。どんなに小さいことでもいいので、自分の「勘」を信じて一歩一歩踏み出してみれば、新しい選択肢や可能性が見えてくる。まず一歩踏み出してみる行動力を大事にしてほしいです!