津田塾大学 学外学修・キャリアセンター

森田倫代

小学2年生の時に見た9.11同時多発テロのニュースが衝撃的で、その際に『イスラム教徒=テロリスト』というステレオタイプを持ったことを覚えています。そのステレオタイプに対して疑問を持ち続けながらも、漠然と「世界で活躍できる女性になりたい」という思いから津田塾大学の英文学科に入学しました。

世界で活躍したい!

大学2年時に「世界で活躍できる」ためには、「語学が堪能なこと」だけでなく、「相手を民族や宗教・外見で決めつけないこと」が大切なのではないかと考え、そのために国際関係を学びたいと思い、英文学科でも進める多文化・国際協力コースを選択。このコースへ入るために、津田塾大学のライティングセンターで志望書を何度もチェックをしていただきました。2年生からは、同じような志を持つ仲間と共に学べるようになりました。大学3年時、国際交流基金の方々が講義をしてくださる「国際交流論」で日本語パートナーズプログラムを知り、迷わず受験しました。その際の思いは以下の2つです。

ステレオタイプをなくして、就職活動に役立てたい

卒業後は海外で活躍したい!と思っていましたが、3年間津田塾大学英語会・ドラマセクションでの熱い活動に明け暮れ、したいと思っていた海外経験をできていなかったので、就職活動が不安でした。このプログラムの任務は、現地日本語教師のアシスタントをする中で、日本の素晴らしさを伝えると同時に、現地をより深く理解するというものでした。現地に深く根差すことで、日本のキャンパスでは学びきれない「相手を民族や宗教・外見で決めつけない能力」を得られるのではないかという期待がありました。

卒論執筆に役立てたい

また、多文化・国際協力コースはフィールドワークが必須であるので、興味のあるイスラム教と多文化共生が学べる国でとことん現地を知りたいと思っていました。

現地での濃い経験

日本語の授業に参加する以外にも、100人の生徒を日本語フェスティバルに参加させたり、ほかの学校へ書道や空手の出前授業をしたりと様々な活動をさせていただきました。

その中で、現地生徒に日本語劇を教える機会をいただきました。日本でいう「部活」というものがないマレーシアで、「毎日練習すること」「遅刻をしないこと」「仲間と協力すること」という基本的なことを教えることに苦労しました。「教える」という姿勢から「学ぶ」という姿勢に変え、現地文化を尊重することも忘れてはいけませんでした。

また、イスラム教・キリスト教・仏教・ヒンズー教・無宗教の生徒たちと深くかかわる中で、各宗教を正確に理解し、平等に接し、宗教に無知であった私が生徒たちの宗教間の溝を作らないようにすることにも苦労しました。
生徒や現地の先生の協力も得られて、約100校が参加するマレーシア全国日本語大会において、日本語劇はもちろん、それ以外の種目でも上位に入賞し、マレーシア教育省から表彰していただけました。

将来、海外で働くため就活前に日本を客観的に見ることができた。就活での大きなアドバンテージとなった。

マレーシア滞在で、アセアン諸国から日本が大変尊敬されていることを実感し、誇りに思いました。そのため「日本の世界に誇れる技術で海外の生活を向上させられる仕事をしたい」と思いメーカーを中心に就職活動を始めました。大好きなマレーシアでの就職も考えましたが、社会人としての世界一のマナーを学べるのは日本だと考え帰国しました。働く上での目標を明確に持てたので、楽しく就職活動ができました。

また、海外進出を希望する私の業界では、就活生はほとんどが留学生で、大学5年在学が当たり前でした。1年間の休学で就活が不利になることはなく、むしろ貴重な海外経験ができ、客観的な自己分析ができたので、この1年は大きなアドバンテージになりました。

マレー語の能力、人を民族や宗教・外見で決めつけない能力

1ヶ月間の派遣前研修と、おしゃべり好きなマレーシア人のおかげで、マレー語が上達し、国際マレー語スピーチコンテストで6位に入賞しました。今後もマレー語を活かした仕事が出来ればと思っています。

また、私の希望する職種では、例えば外国の日本工場を運営する際、自分とは違う価値観の人々を束ねる力が求められます。「相手を見た目で決めつけない」「自分が基準だと思わない」という考え方をマレーシアで学べたことは、今後のキャリアに大きく役立つと考えていますし、就活でも大きく押し出せた私の長所でした。

その後も続くマレーシアとの関わり

貪欲に就職活動をしていたせいか、アルバイトでも私の長所を生かしたいと思い、ハラル専門店のマレーシア料理屋でアルバイトを始めました。従業員はマレーシア人とインドネシア人で、毎日のようにムスリムの方がハラル料理を求めていらっしゃいます。日本人のお客様には、おいしいマレーシア料理を、外国のお客様には日本のおもてなしを提供でき、日本とマレーシアの懸け橋になれているようで大変やりがいを感じています。