4年生インタビュー 国際関係学科 高橋弥月さん

卒業する4年生に、大学時代の学外学修の経験について伺いました!


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年間を振り返って津田塾の生活はいかがでしたか?
最初2年間は大学に通えていましたが、新型コロナウィルス感染症の影響でオンライン授業となり、留学からも予定より早く帰国せざるを得ず、残念だったなという気持ちが強いです。でも、様々なことに挑戦した学生生活でした。

大学では森先生のゼミで開発経済などを学んでいました。津田塾を志望したのは、幼少期に家族で途上国に旅行し、そこで貧困の状態などを目の当たりにしたのがきっかけでした。津田塾の先生方から、女性学や国際協力など様々な分野で途上国の貧困に向き合い、如何に対処していくのか学びました。

 

-学外ではどのような活動をされてましたか?

第二外国語で中国語を学んでいたことをきっかけに、2年生の時に埼玉県の親善大使として2か月ほど台湾に派遣留学しました。帰国してから親善大使の活動をもう少し広めたいという思いが強くなり、どうしたら中国語で日本の人に広めることができるかと考え、中国語のスピーチコンテストに出ました。3年生では中国語をもう少し深く勉強したいと思い、上海に私費留学をしました。

国内では学外学修センターが実施した日本航空(JAL)との連携プログラムに参加しました。

 

-なぜ中国語だったのでしょう? 

これからの未来を見たときに、英語と中国語が大事な軸になるのではと考えました。また、祖父が中国語を話せるので、祖父と中国語で話しをしてみたいと思ったのも理由のひとつでした。結果的に、中国語を学んだことはすごく役立ちました。就職活動でも、中国語で活動してきたことについては評価してくれる会社は多かったです。

 

-台湾での埼玉県親善大使の情報はどこから得ましたか?

両親から留学に行くには給付型奨学金を得ることを条件に挙げられていました。そこで私は留学しながら日本や地元埼玉県に貢献できるような奨学金制度がいいと考えました。その結果、埼玉県の親善大使として地域の魅力を発信しながら留学できる「埼玉発世界行き」という奨学金制度を知り、応募した結果、幸いにも合格しました。トビタテ留学、孔子学院奨学金など、ほかの奨学金も検討しましたが、「埼玉発世界行き」はまだ実施したばかりの制度だったので、歴史ある奨学金よりも自分が先頭に立って開拓し、次の世代の人につなげられるようなこちらの奨学金を挑戦しました。

帰国する際に頂いた色紙

-スピーチコンテストにも出られました。

祖父が亡くなった直後だったので、中国語を通して祖父と私にどのような絆が生まれたか、実際に台湾での親善大使の活動でどんな人に出会い、何を学んだかを中国語で発表しました。

決勝まで進んだものの、現状の語学力に満足せず、本場中国でさらに挑戦したいと感じたスピーチコンテスト

-モチベーションがとても高い印象ですが、いつごろからですか?

中学時代は大人しい感じでしたが、高校時代に生徒会に入り、文化委員長になったことがきっかけでした。文化祭を開催するために、ゼロから企画立案し、全校生徒をまとめ、地域の方と協力しながら文化祭を創り上げました。一つのプロジェクトを完成するために、自身が先頭に立って周囲を巻き込み、挑戦することの楽しさを感じました。

 

-ご家庭では高橋さんのことを応援してくれていましたか?

挑戦したいことについては「とにかく大学からは自分次第だから、悔いのないようたくさんのことに挑戦しなさい、そのためであればお金も出すよ。でも皆が協力してくれていることを常に忘れずにきちんと結果も出しなさい。」と言われていました。積極的に背中を押して協力してくれた家族には感謝しかありません。

 

-3年生のときには日本航空とのインデペンデントスタディに参加されました。

私はもともとJALでの総合職を希望していたので、インデペンデントスタディには是非参加したいと思いました。テーマもJALの取り組むSDGsについてだったので興味が湧きました。

また、他の学生と一緒に大きなことに取り組むということを大学では経験していなかったので、JALとのプログラムを通じてチーム力の大切さを学びました。プログラムの中間発表では厳しいフィードバックをもらい壁にぶち当たりましたが、チームで討議を重ね、SDGs達成と企業経営の両立という視点を中心に提案を立て直し、最終発表に臨むことができました。残念ながらコロナ禍の影響でJALの採用はなくなりましたが、このプログラムで学んだことが就職活動にも活きました。

JALインデペンデントスタディ

-上海の留学経験はいかがでしたか?

上海の復旦大学で中国の歴史や文化を学びながら語学留学しました。もともと、今回の留学も両親とは給付型奨学金をもらことが約束でしたが、最終審査で落ちてしまいました。私自身とても落ち込み、留学を諦めかけていた時、母から「最終審査までよく頑張ったと思う。ママはあなたの努力を見て、あなたの挑戦に投資したい。だからお金のことは気にせず、中国に行って思い切りやりたいことをやりなさい。」と背中を押してくれました。だからこそ、周りの期待以上の成果を出したいと思い、留学中は「自ら現地の人に交渉してホームステイ先を開拓する」という目標を立てました。それを達成するために3つの大きな挑戦をしました。

1つ目は、極端ですが日本人とのコミュニティを全て断ち、外国籍や現地の友人を作るというルールを決めたことです。そのためにお昼休みは食堂で、夕食時は現地の屋台で常に相席をし、自ら隣の人に話しかけていました。

2つ目は、現地のボランティアに参加した際、インターンを募集していないのを承知の上で、後日その会社で長期インターンとして受け入れてもらえるよう直談判したことです。

3つ目は、昼休みに食堂で仲良くなった現地の友人たちと学内で開催している動画コンテストに出場したことです。

この3つの挑戦をしたことで、ホームステイの交渉をした時は、3組の家庭が長期休みの間、1週間ずつのホームステイを無償で受け入れてくれました。最終的にコロナで1組の家庭しかホームステイできず、留学自体も正味半年になってしまいましたが、想像以上の成果を挙げることができました。

ホームステイ中に初めて食べた上海蟹

動画コンテスト出場時の撮影風景

 

-留学中大変だったことは?

最初は毎日泣いていました。復旦大学ではあえて自分より1つ上のレベルのクラスに入学したので、最初の2ヶ月は授業について行くことが難しく、悔しかったです。また私の場合、日本の友人を作らないルールを作っていたため、悩みがあるときに現地の人に相談していました。最初は打ち明けても、自分が思ってたのとは違うニュアンスで受け取られてしまったり、相手のアドバイスを理解できなかったりしたことがとにかく辛かったです。それでも諦めずに何度も現地の人とコミュニケーションを取ったおかげで、分かり合えた時はとても嬉しかったです。

 

-どうやって乗り越えましたか?

現地の人に話すことを意識しました。辛いことはとにかく現地の友人やインターン先の会社の先輩に中国語で相談していました。それでも挫けそうなときは、母や別の大学に留学している日本の友人に電話で相談することで心が救われ、自分自身を再び奮い立たせていました。

 

-中国留学を急に途中帰国することになりましたが、そのときにはどのように気持ちを切り替えましたか?

帰国するときは、ホームステイ中だったのでもっと本場中国でたくさん人と関わって、色んなことを吸収したかったと悔しい気持ちでいっぱいでした。でも帰国後に中国でお世話になった方々とビデオ電話やチャットを通して繋がることができましたし、コロナでマスクが日本の市場から消えた時は、中国の皆が1000個以上のマスクを送ってくれました。その時改めて自分が中国で挑戦したことが、こうやって色んな形で生きているんだと実感することができ、今後に繋げていこうと思えました。

長期インターンをしていた会社の方々と

 

-留学してすぐ行動に移したのがよかったですね。留学期間が1年あるからと様子見をしていたら、コロナがきて目的を達成できなかったかもしれないので、『今やる』ということが大切なんですね。

そうですね。時間や日本人と話せる環境に甘えず、目的に向かって自分に厳しく努力し続けた結果、コロナで留学期間が短くなっても自分の目指していた目標以上の成果が出せたんだと思います。

 

-就活についてですが、自分にとって軸になるものは決めていましたか?

元々はJALで働きたいと思っていましたが、コロナ禍で採用がなくなり、頭が真っ白になりました。それでも周りは着々と就活の準備をしていたので、私は自分のやりたいことを見つめ直すことから始めました。その時、なぜ津田塾に入ったのか、津田塾でどんなことを学んだか、自分は何に興味があるかなど、何度も深堀をしました。その結果、4年間途上国の貧困を勉強してきたからこそ、「食を通じて世界中の人々に心も体も豊かになるような暮らしを提供したい」、「自発的に挑戦できる環境で働きたい」という2つの軸ができ、食品業界を志望するようになりました。また企業研究を通して、キリンホールディングスが今後ヘルスサイエンスの分野に力を入れていくことに興味を持ちました。

第一希望の会社に内定するため、自分の強みや経験をどのように表現することが相手に響くのか分析するため、業界を絞らず、インターンシップ30社、本選考100社ほどのESを書き、その倍の数の面接を受けました。私の強みの「挑戦することで新たな道を切り開く力」を全面的にアピールするため、台湾での親善大使の活動や中国でホームステイ先を開拓したことを話しました。内容自体には興味を持たれるものの、短い面接時間で伝えることはとても苦労しました。でもある会社の面接官に「留学をする人はたくさんいるけれど、周りの人と違う挑戦をして、新しいものを開拓する強さがあなたにはあるし、その成果を出すために自分に厳しく、努力できることも強さの一つだね。」と言われ自信に繋がりました。

 

-意欲的に挑戦するときの原動力は?

人とのコミュニケーションだと思います。私は年齢や性別の垣根を超えて、色んな人と関わることで新たな興味や好奇心が生まれるので、それが原動力になっていると思います。[2] 

 

-就活に悩む後輩へはどうアドバイスしていますか?

私自身、就活中はどんな会社に入りたいのか、自分をどう表現すればいいのかとても悩みました。大切なことは大学4年間の自分史を作ることです。写真や思い出を振り返りながら、大学時代の経験で共通するものは何か、これからはどんなことに挑戦したいか考えて見てください。会社選びに役立つと思いますし、自分の人間性も見えてくると思います。エントリーシートの書き方に悩んだ時は、まずは箇条書きしてみてください。難しい言葉で書く方がかっこいいと思うかもしれませんが、第三者が読んだ時に一発で理解できるような文章を書くことが大事なので端的な言葉で表しましょう。悩みがある時は親でも友人でも先輩でも気軽に色んな人に相談することが大切です。

 

-第一希望の会社に採用されたとのことですが、どのあたりを評価されたと思いますか?

12月ごろからキリンホールディングスを第一希望に考えていました。2月に行われた3日間のオンラインインターンシップで、私の積極性や真面目さを画面越しから評価していただき「一緒に働きたい」と思ってくださったそうで、「最終面接のみ受けていただきたい」とご連絡をいただきました。インターンシップの開催前から何度も企業訪問を行い、スーパーに行った時は商品の陳列やパッケージの分析、自分ならどんな陳列をしたいかパワーポイントにまとめるなどしていたので、これらの行動が評価されたと感じています。最終面接の逆質問の時間では、質問をするのではなく、自分がキリンに入ったらどんな営業を行いたいかパワーポイントにまとめ発表させていただきました。周りが質問する中で、私はプレゼンに挑戦したことも評価されたと部分ではないかと思います。この挑戦力や積極性はJALのインディペンデントスタディの際、ディスカッションで中々意見が言えなかった反省が活きているのだと考えています。

 

-グループワークのコツはありますか?

常に相手の視点で物事を考えて話すことです。それはチームの視点だけでなく、会社の視点でも考えることが重要です。私がある食品業界を受けた時のテーマは、「その商品の売り上げをさらに上げるためにはどんなアイデアがあるか」でした。私はその商品の味に限らずパッケージのメリットデメリットやスーパーでの陳列、広告など多角的視点から意見を言えるように努めた結果、そちらの会社からも内定をいただくことができました。日頃からスーパーで陳列方法や他社の商品と比較分析することが生きたのだと思います。[3] 

 

-新入生やこれから就活を始める後輩にひとこと。

大学4年間は長いようで短いので、自分のやりたいことを後にせず『今』やる、挑戦する、行動すること。挑戦が学びになり、それが目標につながると思います。また、世代や国境をこえてコミュニティを作ることで様々な文化や価値観を理解することや、新たな自分を発見することにもつながって行くと思います。最後に、写真をたくさん撮ってください。就活では写真や動画を使用する機会がたくさんあるので、写真を通して自分がどんな学生生活を送ってきたのか振り返ってみてください。自己分析につながります。

色々なお話を聞かせていただきありがとうございました!大学での学びと経験を糧に、これからもご自身の夢実現に向けて頑張ってください。